蛾衣の京劇衣箱 -2ページ目

肩がね、肩が

まずは画像を見て戴きたい。どちらも同じ日、同じ場所、同じメイク、同じ扮装で写した劇照写真。

比較

何か雰囲気が違う・・・・・・・???

そう、肩が・・・左の画像は見事に男の肩を写しているのです。(泣)

北京に7度行き10数回(1度に2箇所とか)劇照を行いましたけどその都度指摘されるのが「もっと肩の力を抜いてストンと落とす!」でした。(汗)

48年も男をやってます(笑)んで染み付いた姿勢や骨格までは簡単には変えられない。


好きで女形の真似をしてますから泣き言は無しなんですが肩の力を抜くと同時に姿勢も悪くなり腕の力も指の力も抜けてしまう悪循環。当然表情も固くなる。本当に難しいです。

女性独特のなで肩に少しでも近づけたらと思うのですがDNAに刻まれた農耕民族体型は誤魔化しようも無く左のような不細工な写真が出来上がることが多い。(涙)


まあ、稀に右のような奇跡の一枚が撮れるからそれを求めて北京に行くんだけど何と効率の悪いこと(苦笑)ある意味、宝くじ並みの確立かも知れんなあ・・・・。

あ、経費なら宝くじなんて問題にならん位に使ってる(爆)しかも自己満足の為だけに(馬鹿)。

リンズのお話

穆桂英2 早いものでもう7月ですか・・・・夏は苦手です。京劇には辛い季節だもん。(笑)

さて、先日東京で楊門女将を観て来ましてね、ロビーなどで一息入れてると他のお客さんの感想などが聞こえてくるんですわ。「綺麗だったよねえ、あの長い羽根が凄いよねえ」などの声が聞こえる。


多分「翎子」リンズのことを言ってるんだね。雉の尻尾に孔雀の羽根をあしらったもので京劇には欠かせない小物です。例えるなら昆虫の触角?かな(笑)海老でもバッタでもこれが無いと格好悪いです。(例えが変)京劇ではリンズを使い感情表現を行う場面が多いのです。蛾衣もリンズを使った扮装が好きで穆桂英なんか最高です。


北京の劇装街で売ってるのですが練習用の物で400元くらい(2本組)なんですが舞台で使うのは良い物で1500元くらいすかね。何処が違うか?長さと巾らしいですが素人のオイラには区別がつかない。安いリンズは死んだ雉から採取するそうですが高いのは生きた雉の尻尾を固定して業と驚かせて飛び立たせ抜くそうです。(本当か?)で、弾力のあり腰があるリンズだそうです。安いのは直ぐに折れるんだって。


でも高価であることには変わりなく何処の劇照店でもリンズは大事に扱われて保管されてました。お店によっては触らせて貰えないこともあった。ポーズによっては交差させて口で咥える場合もあるんです。(格好良い)


でね、どうやってリンズを固定するか?手で握るんじゃ無いんです。人差し指と中指を伸ばしてその間に挟むの。これが結構難しいんだ。油断すると直ぐに外れてリンズは後ろに跳ね上がるの。何せ薄い雉の尻尾だし二本の指で挟むだけってはキツイよ。意外と力が入らないのさ。直ぐにビヨ~ンと戻っちゃう。(苦笑)


でもね、これが決まると格好良いんですわ。自画自賛でしか無いんですがね。

やっぱり京劇は良い2

さてさて、期待の楊門女将が始まった。会場はほぼ満員で女性が7割と言う感じだ。この公演は字幕も読み易く中文が判らんオイラにも優しい舞台。特に文劇は言葉が判らないと楽しみも半減するもんね。しかし、史敏さんは綺麗でオラもこんな劇照が出来たらと暫し妄想の世界へ(笑)


Aプロの圧巻は戦を決意した楊家の女達が鎧に身を固め勢揃いするシーン。色取り取りの女靠に旗を背負いリンズをなびかせた女優達が並ぶ姿は気高くも凛々しいもので会場からはため息と歓声が上がった。うーん、出来る事ならオイラもあそこに並びたい!!!と思う瞬間だったね(爆)


ここでAプロは終了で次のBプロまで約2時間のインターバルがある。一端会場を出た我々は今日の晩餐会にご招待した厳慶谷師に逢えることになり楽屋へ。勿論これも十河さまのお力であるのは言うまでも無い。水歌さんご一行もお誘いしてAプロが終わり騒然としている楽屋へ突撃。緊張する5人を厳さんは舞台メイクのお姿で迎えてくれた。


ここでお土産を持参しなかったことを後悔するも過ぎたことは仕方が無い。貴重な休息時間を我々の為に割いてくれた厳さんに感謝しつつ写真を撮り楽屋を後にする美女4人と親爺1匹。残った時間は近くのお店でお茶をしながら楽しく歓談。話は今観た舞台の話題で持ちきり。そこで親爺は自分の劇照写真を披露して普通の劇迷であることをアピール(笑)何とかお仲間に入れてもらえました。(汗)


水歌さんは知る人ぞ知る方だしお友達も袁英明女史のお弟子さんで皆さん京劇の大先輩ばかり。楽しい時間もあっと言うまでBプロの時間となり会場へ引き返す我々。さあ、Aプロの続きが始まる期待の開幕です。

今回初めて生の舞台を観た(楊門女将)のですが役柄に応じて見所がある演出が工夫されていて普通なら目立たない脇役やちょい役でも存在感がある面白い舞台になってました。


カーテンコールも手が痛くなるほど拍手をして無事に終わり余韻に酔いしれる我々は待ち合わせの場所に向かう。勿論、今宵の晩餐会に出席する人と落ち合うために。大御所吉田さまも笑顔で再会、前に北京衣装探訪ツアーでご一緒したマルコさんも合流。京劇城の常連さんも現れ大御所さま達はゲストを迎えに若輩達(笑)は今夜の会場へ向かう。


晩餐会の言い出しっぺはオイラだが運営はすべて猫耳さんに丸投げしたのだ。だって東京は判らないもんね。(汗)本当にご苦労様でした。先発隊は思い思いの席に着きゲストを待つ。落ち着かないオイラはタバコを吹かすことしきり。結構、小心者なんですよ(笑)


そこに今宵のゲスト厳慶谷師史敏さん到着!一挙に場が盛り上がり会話も弾む。勿論厳さんは日本語が堪能だが史敏さんは中文オンリー。で、早稲田の女史に通訳をお願いしながら色々と質問ばかり。(恥)

厚顔無恥なオイラは劇照写真を披露(こればっかり)し史敏さんの気を引こうとしたが食いついたのは早稲田の女史で何れ梅蘭芳の衣装展を開催する時はオイラの衣装を貸して欲しいと頼まれる。劇迷冥利に尽きる瞬間です。折角の衣装達が日の目を見られて沢山の方の目を楽しませることが出来れば衣装も本望でしょう。その機会が訪れることが来る日を待っております。


晩餐会も無事に終了し我々はゲストを送りにホテルまでご同行。オイラの目的は写真。ホテルのロビーで皆さんと集合写真。出来上がった画像を見て驚いた。やっぱりスターは違うわ。史敏さんにだけ必ず照明が当たってるんだ。本人が意図してそこに立ったのかは不明だが一人だけ明るく照明が頭上から当たってる。

10枚ほどスナップも写したがお一人だけ浮き上がるように写ってる。不思議だね。(笑)


そしてここで今日は解散。十河さんとは同じホテルなんで迷子の心配は無い。前に新宿でえらい目に逢った教訓でならべく離れないようにしたのだ(苦笑)朝食無しのオイラはホテルの近くのコンビニでパンを購入してご帰還。明日の集合時間を確認して部屋に戻ると一日の疲れがドット出て11時にご就寝。


翌日は横浜中華街へ出陣。まずは横浜大世界に突撃。ここは前回猫耳さんと来たので余裕のよっちゃん!だがなんか以前よりショボクなってるなあ・・・これも世のうつろいかねえ。お土産を色々物色したのが面白かったね。で、次はチャイナスターへ。生憎お店は忙しいようでお留守番の方が1名。楊貴妃の衣装を見せてもらうがオイラの衣装とはランクが違う。収穫は無し。(偉そうに)でも何時かはここで覇王別姫を観劇したいね。


企画だけどチャイナスターさんを借りて京劇パーティでもやったら面白いかな?衣装を持ってる人はメイクして衣装を着てチャイナドレスの人とか劇迷が集まり立食形式で語りあうの。どう?実際京劇メイクでは食事は難しい(経験者)ので軽食と飲み物だけだけど4時間くらいで半分はメイクに掛る時間。本格的なピエンズを使う物じゃなくてもそれなりに時間は必要だから。人数も多ければ結構大変だしね。メイクを落とす時間も計算に入れないとなあ。


病み上がり(水疱瘡)で体力の無いオイラは弱音を吐いて喫茶店へ避難。体力をやや回復したところで行くところも無くしばしまったり。「シルク博物館へ行きましょうか?」と十河さんより提案。最初は気乗りがしなかったが「綺麗なドレスがあるんですよ」の一言に勇気凛々元気百倍(笑)先程までの無気力から立ち直った蛾衣に十河さんも苦笑。オイラ綺麗に弱いのよ(爆)


しかし、オイラの浮気心に京劇の神様が怒ったのか辿り着いた博物館は今日から一時期閉館と入り口は固く閉ざされジエンド!綺麗なシルクのドレスを思い浮かべながら重い足を引きずり仕方なく地下鉄駅へ向かい羽田空港へ。しかし、神様の怒りは解けず我々は間違えてJALでは無いANAのロビーに行ってしまった。更に重くなった足でテクテクともう一つのターミナルへ移動。ちょいと早い夕食を摂り暫し休息。


しかしどうして空港のレストランはあんなに高いのだろう?1000円以下の食事なんてまず無い。オイラの町では1000円以上の軽食なんてまず無いのに。それに流れるBGMが小梅太夫ってのはどうよ?(爆)

十河さんを見送り再び元のターミナルまでテクテク戻りカウンターで搭乗手続き。しかし、ここでもアクシデント発生!!「申し訳ありません。最終便が大幅に遅れる予定です」むむっ!9時発の便が遅れるってことはいったい何時に家に着くのか?


だが神様は最後に微笑んだ。「7時半発の便に振り替えできますがどうしますか?」勿論ニッコリとお願いして予定より早く帰宅出来ました。色々とあった2日間でしたけど大勢の方のお陰で実りある東京となりましたことをあつくお礼申し上げます。


PS  最近、蛾衣のテンションが上がらないのは衣装が届かない為と判明。首が少し長くなりつつありま

    す。(苦笑)

やっぱり京劇は良い

えー、しばらく更新しておりませんですいません。(反省)

本日、クラブメッドサホロから戻りまして、そこで知り合いに「ブログ更新してないね。お気に入りから消しちゃうよ」と言われて恐縮しております。

うーむ、最近はお手軽なミクシイに気持ちが傾き(それほど書き込んでないけど)誰でも見てもらえるブログを疎かにしてしもうた。

まあ、これと言ってニュースも無い(衣装も未だに届かない)ので田舎住まいにゃ辛い日々。


それでも先日上海京劇院の公演が東京であり北京で宋小川師の件でお世話になった厳慶谷さんと一度は逢いたい女優史敏さんが来日してるので行って来た。まずは日曜の朝4時半に起床。朝一の便なので5時に出発。7時に無事に千歳空港着いた。と、ここまでは順調さ。(笑)まずは搭乗手続きを済ませてお土産でもと思ったが何故か異様にお客が多い。???


何と朝一の便が欠航??こりゃあ大変だ。公演開始は12時だから次の便じゃ間に合わない!!!!

「全日空の便に乗り換えております」掲示板では8時30分発に東京行きが。これなら間に合うか?

ところが受け付けたお姉さんが「7時50分の便に間に合いますけど、どうしますか?」思わず「ハイ!」と返事したから大変。今は7時30分。お土産は中で買うか?とまずはセキュリティへ。そこでコルセット(腰痛持ち)が金属探知機に反応しお姉さんのボディチェック(ちょっと嬉しい)

そこに全日空のお姉さんが「7時50分の便にお乗りのお客様~!!」と大声で叫ぶ。そのお姉さんに手を振りながら金属探知機で更に念入りに調べられる親爺(苦笑)だからコルセットしてるって言ってるじゃん。


無事に無罪放免されるもここでもお土産を買えず手ぶらで機内の人となり居眠りをしてたら羽田に着いた。

羽田のお店を探すも碌な北海道土産は置いてない(当たり前)仕方無しにモノレールに乗り電車を乗り継ぎ池袋に到着。時計は既に10時30分。まずはホテルにチェックインと駅前に出たが田舎者ゆえ方向が判らん。(涙)そこでホテルに電話して場所を聞きだし歩いたが往復30分。先週、水疱瘡で1週間寝込んだため体力ががた落ち足が痛い。


11時15分、無事に会場である東京芸術劇場(如何にもってな名前だ)に到着。流石は東京。建物も雰囲気も洒落てますな。で、今回、小判鮫をする十河さまを探すも見当たらず一度1階ロビーに戻り食料を調達。時間に余裕があればコンビニで購入予定であったが上記のごとくでギリギリのスケジュールだったのだ。

おにぎりを3個買い再び2階へ。そこで宿主(笑)十河さまを発見!無事に張り付くことに成功。まずは腰掛腹ごしらえ。食事がまだな十河さまにおにぎりを1個進呈し今回の契約が無事成立(爆笑)


そうこうしている内に劇迷レーダーが同士を発見!まずは劇照同盟の猫耳さん、次に十河さまのご友人である水歌ななこさまその友人2人そしてオオトリは加藤城主さまとまさに大漁!!思わずサブちゃん(北島)を口ずさむ蛾衣。(笑)突然発生した集団に回りの視線があつまるがそこは劇迷、気にしない(笑)公演ポスターの前で記念撮影までしちゃうのだ。美女軍団に親爺と城主さまのショット。「こりゃあ、まるで楊門女将だね」と城主様。


猫耳さん以外は皆さん初対面だったので京劇用の名刺を配ると城主さまが「蛾衣さんて女性だと思ってました」とのこと。すいません、親爺なんです(汗)でもオイラ一度も女性だなんて言ったことないんだけど。書き込んだことも無いのに。ネカマではありませんので誤解無きよう。女形です。


もっとお話したかったけど無情にも開演を知らせるブザーがロビーに鳴り響き後ろ髪を引かれつつ皆さんに別れを告げて舞台が待つホールに入った蛾衣でした。



北京小判鮫日記4

ゴールデンウィークも残り1日となるころにエンジンが掛かってきちゃったよ(苦笑)

それでね、2日目はデジカメを使う劇照店に朝もはよから出発。メインは偽ママの劇照だがそこは小判鮫。

ものは試しと鉄鏡公主を再度やることに。衣装は自慢の龍の旗装を使用することに決めていた。


ちょいとしたビルの3階でエレベーターで昇る。今までの劇照店とはちょいと違うな。ドアを開けるとそこはオフィスみたいだ。壁には色々な劇照写真が飾ってある。と、ここまでは普通だがいり口の近くにカメラマンの等身大のパネルが貼ってあるじゃん。それには有名京劇俳優のサインが沢山。結構見栄っ張りなんだね。(笑)しかし、このカメラマン(オーナー?)良く喋ること。(苦笑)


で、まずは偽ママが劇照。ローレライが偽ママの大頭を写そうとしたがカメラマン氏に断られる。この辺はお店によって対応が違うが理由は判らん。まあビジネスに徹してるのかねえ。研究用にと撮影を目論んでいたローレライはガッカリ。両把頭の後頭部を作ってくれると言うのでそれを写して貰おうと思ってたオイラもガッカリ!しかし、腕は良さそうでスムーズに撮影は終了。次はオイラだ。


鞄から自慢の旗装と花盆底、小物を取り出すとカメラマンは衣装を念入りに調べる。「劉さんの店か、良い衣装だ」と刺繍を確かめている。お店のアシスタントの女の子も衣装を見てる。ここで問題が発生。鉄鏡公主をするための絹牡丹が他に貸しているので無いらしい。「じゃあ変りに代戦公主にしましょう。」「ほえ?」「大登殿と言う劇で同じ衣装を着る役だけど鉄鏡公主と違うのは頭飾りは鳳凰で正確は凛々しいのよ」そう言えば写真で見たことがある。


今回の課題は花盆底をどう履くか?何せ前回宋先生の時、靴ベラが折れそうになりながら最後には靴下を脱いで悪戦苦闘して履いた靴だ。それで秘密兵器として使用したのがパンスト。そう薄い女性用靴下だ。(笑)これなら滑りが良いだろうと思ったのだが格好悪いのを我慢すれば便利なもんであれ程苦労した靴も簡単に履けたよ。発想の転換だね。


無事に劇照も終わりカメラマンとの打ち合わせも終わったところで世間話になりオイラが衣装を20着以上持ってる話になり彼も日本に来る話になって彼の目が輝いた。彼のコンピューターは日本での衣装調達の道が開けた!!と答えを出したんだろうな。しかし、私が「全部オーダーメイドで私のサイズで作った」と告げると彼はガックリとうなだれてしまった。残念でした。(笑)オイラの衣装を女性が着ると巾と着丈が合わないのじゃ。(実験済み)


「また来るんだろう?待ってるぞ」当然のように笑顔で言うカメラマン氏。よっぽど自分の腕に自信があるんだろうな。「勿論!」しかし、お店は移転しなんと北京京劇院の中で商売するそうだ。凄いねえ。

代戦公主1-10 代戦公主1-7

北京小判鮫日記その3

劇照も無事終了し荷物(衣装)を置きに一端ホテルに戻った。今日の晩餐はとても楽しみだった人に逢える。

北京に行ったことも無い時にネットで情報収集していて興味あるHPを発見。あの天安門事件の最中、北京で京劇を学んでいて物凄い体験談や老師とのやりとりなど私には全て驚きと興奮だった。その管理人である「男澤荘子」氏と逢えるのである。


で、彼女の運転する真っ赤な車で一向はお店に向かった。男のオイラでも北京の道を運転する気にはなれんのに彼女の度胸には脱帽だす。(笑)何がって?兎に角、北京の車ときたら車間距離なんてものは無い!車線なんてものは無い!信号はあるが右折は赤でもOK!とこれが全ての車両に当てはまるのだ。

タクシーに乗っていたも怖いのに運転なんかする気にゃなれません!!


で、お客で一杯の鍋屋さんに到着、ローレライ、偽ママ、男澤さん、オイラの四人で火鍋を囲んでワイワイ話す。そこでのお気に入りは豆汁。最初はええー??と思ったさ。豆汁って言うから青臭いんだろな・・・・・・と思いながら一口飲んでみる。ほえ?これが意外といけるのよ。それに何杯飲んでも無料ってのが良い(笑)


いやー、しかし男澤さんは初対面にも関わらず旧友のように接してくれて嬉しい限り。何せ女性3人に親爺1人でしょ?毎度、思うのは女性は偉大だってこと。男にゃ真似が出来ないパワフルな人生を送ってる方が多いね。これって劇迷だけの現象かねえ??そして思うのは皆さん度量があるってこと。こんなオッサンが入っても何のワダカマリも無く受け入れてくれる。本当にありがたいっす。


マジで楽しい夜でした。でも、寒かったなあ。火鍋を囲んでるんだけど足元がスースーするんだもん。秘密兵器を履いていたんだけど寒い。やっぱり歳かねえ・・・

帰りも男澤さんの車で送ってもらって小判鮫は充実した1日を終えましたとさ。めでたしめでたし。

虞姫1-9 虞姫1-5

ぼちぼちと

うーん、暫く振りのブログだにゃ。小判鮫日記も尻切れトンボだし心を入れ替えて更新するべえ。


で、2日目は内緒のお店で劇照。目的は2個。鉄鏡公主のリベンジと自分の結論が正しいか?を立証するのだ。正直、馬面のオイラには旗装が似合わないのは承知だがそこはそれ衣装が泣くのよ。(笑)

折角作ったのに活躍の場が無いなんて可愛そうでしょ?それにオイラは旗装好きだし。


で、一役じゃ勿体無いし虞姫と鉄鏡公主2着をやることにした。しかし、カメラマンが鉄鏡公主は動きが少ないので虞姫の枚数を増やそうとのたまう。個人的には鉄鏡公主に主力を注ぎたいんだがここで芸術家のやる気を削ぐのも出来栄えに関わるとそれを快諾。


結果は大正解で虞姫の満足出来るものが撮れた。で、鉄鏡公主だが日本から3着持ち込みここでは鳳凰と胡蝶乱舞の2着で撮影。出来は普通かな?やっぱり似合わんな(苦笑)撮影の途中で偽ママが合流しワイワイと撮影。今回の検証は表情。そうローレライが居る時と居ない時では写真の出来栄えが違うと思ってる。

虞姫1-7 虞姫1-6


彼女は劇迷で私の劇照道の師匠?でもある。如何に上手なお店でも京劇を学んでいない素人で電信柱の如く立ち尽くす北京語の判らない親爺が役者の真似をしても結果は目に見えてる。自分でイメージしている顔と写真が見事に違うのに落ち込む事、数度。しかし、ローレライが居ると空気が変る。振付師とカメラマンの言葉を正確に伝え私の駄目な部分を指摘し修正してくれる。表情もそう。撮影中は自分の顔が見えない。当たり前の話だが困るんだ。歳なんで笑うと皺が出る。良くて婆さん、悪けりゃ爺さんだ。(涙)


微笑みってのは非常に難しい。簡単にはモナリザのように微笑めないのが現実。女性なら当たり前の微笑みも親爺が微笑むのはどうよ?練習も出来ないじゃん!!(キモイし)今回は虞姫だったんでそうヘラヘラ笑えない。覇王の前では気丈に笑って見せるが心中では泣いている。その複雑な気持ちをどう表現するかが問題だ。憂いを秘めた顔なんてしたこと無いもんね。(苦笑)

消え行く心の故郷

2年前、初めて北京を訪れ憧れの劇装街に足を踏み入れた。そこは車の行き交う通りから横に入る薄汚れた路地。洗濯物がぶら下がり練炭を積んだリヤカーを引いた自転車や小型バイクがすれ違う何故か懐かしい巾3mに満たない路地。そこに京劇の衣装や小道具、大道具を扱う店が左右に雑然と並んでいた。


どの店も私の大好きなものばかりで会話が出来るなら一日中居ても退屈しない通り。あれから2年、訪れる度に雰囲気が変りホテルが忽然と現れたり公衆トイレが綺麗な外観になったりと変化していた路地。今年の2月に行くとお店の人が「6月には移転する」と言った。どうやら国の政策だかで立ち退きするらしい。もしかするとオリンピックが関係してるのかな?


確かに現状の交通事情ではオリンピックどころじゃない。交通渋滞が酷く移動時間が読めないのだ。これが3年後?ならもっと酷くなるだろう。2年前より確実に悪化してるのが体感できるのだから。劇迷には関係ない?と思ってたけど結構影響がある。


まず、衣装の値上がり。これは人件費(刺繍職人)と生地の値上がりによるものが主だ。劇照店の乱立。これもオリンピックに来る観光客目当てらしく京劇メイクを教える教室(メイクアップ学校)が出来て即席の劇照店?が出来るらしい。問題は京劇を良く知らない人間がビジネスとして京劇をチョイスして歪んだ京劇感を素人(観光客)に刷り込むことだね。


劇装街でお店を営んでいた人達もどうするんだろう?1、2軒の店では集客能力も落ちるし「ここでなら京劇の全てが揃う!」が売りの劇装街が無くなるのはマジで痛い。常宿(新北緯飯店)から近くて歩いて行けるなど少しは慣れてきたんだけど残念だなあ。


心配はオーダーしている衣装がちゃんと届くか?それが一番なんですけどね(苦笑)

ご無沙汰しちゃいました。やっちゃいました。

1ヶ月も放置したまま更新してませんでした。ミクシイに入り浸りでサボってました(汗)


本日、サホロから戻りました。例によってクローズパーティのためだけに1泊2日で往復600kmを走破。

行く予定は無かったのだけど友人が誘ってくれたんで誘われる内が華と出掛けた。


去年の冬クローズは盛り上がらず仮装も無しだったので今年もそうか?と思ったが事前調査でドレスコードがカーニバルと判明。万が一と白素貞の断橋の衣装一式を持参することに。当日の雰囲気次第で決めることにした。


同行の244を乗せて愛車流石号は一路サホロへ!今週は悪天候が続き途中の峠の路面状況が心配で早目に出発。思ったよりも路面は乾き順調なドライブで狩勝峠を登る。が、が、アクシデント発生!!

下りの隋道内の路面が凍結していたのだ。


前の車が減速、流石号もブレーキを踏むがABSが唸るのみで車間距離は見る見るうちに1m以下に。

追突を避けるためにハンドルを切り対向車線に出た瞬間、グリップしたフロントを軸に流石号は真横を向いた!「あっ!」と言う間にフロントが隋道脇の雪壁に刺さる。やってしまった!次の瞬間流星号は逆方向を向いて側面から雪壁に激突!!


鈍い音と衝撃の後ボンネット半分に雪が被さり進行方向と反対を向いて流石号は停止した。場所は峠茶屋から直ぐ下の隋道入り口から100mも行かないところ。後続車を確認して直ぐに雪壁から脱出。一度戻って峠茶屋の駐車場に非難。244と無事を確認しあい車を点検。ボディには凹みは見当たらない。足回りも異常が無いようだ。


取り敢えずボンネットの雪を払って出発、峠を降りて昼食に。新得町のドライブインで野菜炒め定食を食べるも胸の動悸は治まらず我が身の幸運を神に感謝する。対向車があれば悪くて244は即死、オイラは大怪我、路側に雪壁が無ければ車は大破だったなあ。


昼食が終わってサホロに到着。懐かしい顔と再会を喜び話題は今日のドレスコード。どうやら皆さんやる気満々である。これは扮装師としてやらねばならん!と3時半より部屋に篭り準備を始める。自分でのメイクは1年振りくらいなんで感が取り戻せない。焦っていると仲間より6時集合の連絡。やばいよ、やばいよ!


30分前にどうにかメイクは完成。仲間がぞくぞくと部屋に集まる。お手伝いと称して様子を見に来てる。(笑)

着付けを手伝ってもらってどうにか完成。いざ、出陣!全員でシアターに向かう。エレベーターでは1名乗れないハプニングあり。(コントみたいにブザーが鳴った)長い廊下を歩くとお客をGOの視線が刺さる。(快感)

シアターに着くと村長から呼び出しがあり舞台中央へ。GOでも無いのにお客様にご挨拶をしてショーが始まった。気分は最高っす(笑)


その後レストランに向かうが扮装の為頭部を締め付けたので気分が悪くなり中座して店仕舞い?をしようと仲間に告げてバーに向かう。タバコを吹かして水を飲むと気分が回復したのでそのままの姿で11時まで居座る(苦笑)やっぱり扮装のままでは食事が出来ないと痛感。


今回も大勢のGOやお客さんと写真を撮って大満足。部屋に戻ってメイクを落とし再びバーへ。素顔を知らない人の話を聞くのが私の醍醐味だったのにそれをバラす反則を犯され多少気分を害する。そこを離れてディスコへ食料を求めて降下。空腹が満たされてシアターへ戻ると別のグループへ合流しレストランのお寿司とバースディケーキを食べる。


仲間が密かに誕生日を祝う計画を立ててくれてた。嬉しいなあ。メイクが落ちるので涙は流しませんでしたけどね(笑)

色々とあった1日で12時を回ったところで就寝。7時前に244のイビキで目が覚めたのでお風呂に行く。

風呂から戻ると244が起きてスノボーをしにゲレンデに行ったので私は再度ベットに潜り込み10時半まで2度寝(笑)起きてバーに行きコーヒーを飲んで目を覚ます。で、昼食の後仲間を見送り2時半に我々も見送りを受けて(雪を投げられ)サホロを後にした。


今回は天敵?も居ない穏やかなクローズで楽しく過ごせました。ドリちゃん、244、さんちゃん、柴P、しんちゃん、しゅんいちさん、たかさん、その他の顔見知りGMさん、GOさん、どうもありがとう。


PS、帰り道のコンビニで244と流石号を再点検。そこでボディに軽い歪みを発見。まあ1トン半の車体が激突したんだもんね。これくらいで済んだことが奇跡かも?


北京小判鮫日記1

ども!ご無沙汰しておりました。京劇界の変人?敦蛾衣です。

さてさて、上海上陸計画がお流れになってしまいましたがそんな事ではメゲナイ女形。(笑)

偽ママが北京に行くとの情報をキャッチ!!これを逃す手は無いとばかりに小判鮫に姿を変えて7度目の訪中と決め込んだ馬鹿な中年親爺の「北京小判鮫日記」の始まりだよ!

御用とお急ぎで無い方は寄ってらっしゃい!見てらっしゃい!あっ!そこのお嬢さん。その線から入っちゃあいけねえよ!


さあ、時は2006年2月の16日、薄汚れた姿の中年が千歳空港に登場。まずはスーツケースを預けるところで一悶着。重い。目方は25,5kg。「ちょっと重いですねえ。これだと帰りは超過料金になりますが?」

原因は劇照用のMY衣装。(汗)「あ、お土産と飲み物なんで帰りは大丈夫っす!」と笑顔で誤魔化しまずは第一関門突破!昨年の十河さん(35kg)を考えれば軽い方だぜ(苦笑)


東京(成田)は雨。しかし移動は無いので濡れることは無い。デカイ鞄の中身はローレライのリクエストが詰まってる。掟破りの45Lサイズだ。成田での第二関門は金属探知機。そこでまた100円ライターを没収される(涙)これが後で泣きを見る結果となることは知る術もない。


何時も飛行中は寝るかゲームで将棋をして時間を潰すのだが今回は映画「男たちの大和」が放映されていて見てなかったので小さな液晶画面にイヤホンで見た。うーん、泣けました。2年前に亡くなった叔父が実際に天一号作戦の駆逐艦「雪風」に乗船し戦っていた生き残りだったので海軍には思い入れが強く漫画家の松本零士氏のファンでもあり「宇宙戦艦ヤマト」をこよなく愛した人間にとっては涙なくしては見れない映画だったのだ。


涙と鼻水を垂らした私は北京に到着。初めて来た時はあれほど異臭(一説には練炭を燃やした臭い)が鼻に付いた空気が今はしない。それほど慣れてしまったのだろうか?まあ2年間で7回も来れば慣れもするわな(苦笑)ホテルは毎度お馴染み「新北緯飯店」の1030号室。エレベーターの直ぐ側で街の灯りも入らない部屋だ。まあ、殆ど寝るだけだから文句は言うまい。


早速、ローレライに到着コールをと試みるがどうも繋がらない。部屋の注意書きを読んで架けるも駄目だ。

「宝辰飯店」では簡単に架かったのになあ????諦めて明日の用意をしてベッドに潜り込んだのは深夜1時を回った頃でした。